はびこる、という難しさ

これだけ世界が多様化してれば、
もう「スタンダード」なんてない、と言うことに気づけない人が、我こそはメインストリームだと大声で叫ぶ。
馬鹿馬鹿しいことである。

女性の参政権も、女性が自由に発言することも許されてる社会なんだから、それぞれが好きにすりゃーいいのではないかと。

太古の時代は、男性が狩りをして、女性がそれらを調理していた。
思想とか権利とか義務ではなくて、それがその時の一番効率的な生活形態だったからそうしていただけである。
そうやって人類は社会を形成し、子孫を増やしてきた。
そしてその生活形態はたった100年前までスタンダードだった。

社会が成熟し、太古とは役割分担が変わって、子供も産んでも産まなくてもいい世の中になった今でも、DNAにその頃の記憶は受け継がれている。

だから、おひつを女性側に置くのは、至極当然の習慣なんだと思う。
置かれたあとは、好きにすればいいのである。
それぞれにちょうどいいやり方で。

男に給仕させるのはけしからん、という男性と、女だからってなんで給仕するのが当たり前なの、という女性は、一緒にいなければいいだけなのである。
それだけの話なんじゃないの?

価値観、習慣、流行、そんなものが「大きな流れ」としてはびこるのは、もはや現代では不可能だ。
基本ルールは、きちんと守る。
あとは各自好きに好きにすればいいのだ。

おひつの話題が出るたびに、おひつに入った美味しいご飯のことを思い出してお腹が空くので、そろそろこの話題はおしまいにしてほしい。

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