語彙の少なさを「癒されるー」で片付ける人々
一時期、何を見ても「カワイイ」という人々が馬鹿だという風潮がありましたが、「カワイイ」はいまや世界共通の言語として認識されつつあります。
…ものすごいゴリ押し感は禁じ得ませんが。
まあ、定着してるのならそれで良いとしましょう。
ただ、何を見てもカワイイと言うことのリスクに気づいた人々が増えたためか、最近、カワイイを連発する人は減ったと思います。
が、水面下で静かに、根深く、亜種「イヤサレル」と「ホッコリスル」が増殖している気がします。
「カワイイ」が第一階層だとしたら、「イヤサレル」「ホッコリスル」は、もう1つ下の階層に分類されるかと思っていたら。
どうもそうではないらしい。
…いや、いいよ。あくまで個人の感想だから。
ただ、運慶展で四天王像をみて「イヤサレルー」って言ってた女、おまえ、バカだろ?
それぞれの人の胸に芽生えた想いを、言葉にする時、それは「誰かに伝える」ことが前提になってる行為でしょう?
だったら、その想いを、鮮やかに、そして正しく伝える言葉を使うべきだと思います。
命を削って作られた、魂を揺り動かすような芸術品を「イヤサレル」で片付けるのは、やっぱり何か間違ってる気がしてならないのです。
あと、わたしがやってる仕事の観点から見れば、「カワイイ」に比べて、「イヤサレル」と「ホッコリスル」は購買意欲が推し測りにくい、という特性も持ち合わせています。
何見ても「イヤサレル」「ホッコリスル」という奴に限って、わたしの販売してる商品はきっと買わないだろうなー、と思うのです。
屁にもならない感想をわざわざコメントに書き込むぐらいなら、スルーしてもらった方がマシですな。
勝手に癒やされて、ほっこりして、そのうち麻痺して何も感じなくなればいい、と思うだけの今日この頃です。
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